カルメン公演の為に衣装を探しているうち、あるフラメンコ衣装店の小冊子で映画「ジプシー・キャラバン」のDVDが目に入った。私にしては珍しくすぐに購入を決めた。
午前中アマゾンで注文したら、その日の夕方に届き早速観る。
理由はうまく説明できないが、ただただ号泣した。
今でも存在するジプシー(ロマ)のミュージシャン達。4カ国のバンドが集まって、アメリカツアーを行った。そのドキュメンタリー映画。
彼らは言われなき差別と迫害を受け生きてきた。そんな中で、唯一彼らお怒りや感情を吐き出し、また楽しみを与えてくれたものは音楽だった。「音楽は神様が与えてくれた最高の宝」とあるロマが言っていたが、彼らが言うと本当にそう思える。その他にも、彼らの言葉は学ぶことばかりだった。
自分もジプシーを誤解していたのかもしれない。
このDVDに出会えて、カルメンという役に対してかなり腑に落ちた。
私はどうしてもカルメンがただの悪女には感じられなかった。一般常識からみれば、確かに悪い人間かもしれない。男をだまし、物を盗み、密輸もする。でもそれは、よく言えば昔からのジプシーに対する偏見から仕事を与えられず住む環境もままならず、誰も頼らず生きていく為には仕方のない事だったのかもしれない。
オペラ「カルメン」の中でも、よく観ればカルメンは悪い事をしていない。
“ハバネラ”で「黙ってる男の方が好き」と言っているのも本心だ。カルメンは本来娼婦ではない。チヤホヤする男達の中で、黙っているホセに惹かれたのは自然な事だろう。
“セギディーリヤ”ではホセをだまし逃走するが、それは自分だけの罪になると思っていたのではないだろうか。ホセも共謀の罪で牢屋に入り、格下げにまでになったと知ったカルメンは、ジプシーの掟として借りを返そうと彼の為に踊りを踊る。お金のないカルメンには、これができる精一杯の事だろう。しかし、ホセはその気持ちを汲み取らず兵舎に帰ろうとする。そりゃ〜、怒るよね。
そこで喧嘩別れできればよかったのに、そこにスニガが来てしまったが為にホセはジプシーにならざるを得なくなる。全てきっかけはカルメンだが、悪い事はしていない。いわゆる運命だ。ただ、やはりカルメンが美しく魅力的でないとここまで男はついてこなかっただろう。これが『ファム・ファタール(運命の女)』というやつか。ホセはすでに人殺しをしているとはいえ、一般人。ジプシーの仲間になるというのは所詮無理な事だったのだ。どこで目にしたか忘れたが、「相手がジプシーだったら愛し結婚していた」と女性ロマの言葉にあった。
ミカエラが山に現れ、その時すんなり帰れればよかったのに、なぜかエスカミーリョが出てきてしまう。またジプシーの迫害を受けてきたカルメンにとって、社会では認められている花形闘牛士にそこまでされると、やはり信じてしまう気がする。。。ホセは男のプライドに火がついてしまったのか。
最後カルメンは殺される訳だが、たぶん人生に悔いはないと思う。ただ、どこかでジプシーの生活とおさらばしたいと思っていたような気がする。このまま死なずにエスカミーリョと結婚でもして長続きしていたかどうかは別だ。
映画の冒頭で「曲がりくねった道をまっすぐ歩く事はできない」というロマのことわざが出ていた。シンプルだけど深い。。。
ヨーロッパに行くと時々ジプシーを目にするが、それだけでジプシーを知った気になっていた。
DVDの中でジプシークイーンの称号を持つエスマという歌手が言っていた。
「みんなジプシーを見習ってほしい。私たちは長い歴史の中で、戦争を始めたことも、国を占領したこともない。まして迫害をしたこともない」と。
彼らの音楽は、私の心臓をばくばくさせた。
フラメンコ・カンテのスペイン人のおばさんがこうも言っていた。
「音楽を聞いて、笑えたり、泣けたり、鳥肌がたつのは全て音楽の魔力の力だ。それは本から勉強できるものではなく、内から湧いてくるものだ。」
生きている事すべてが音楽に繋がっている。。。