5月24日、バリトン歌手の畑中良輔先生が亡くなられました。御年90歳でした。
二期会事務局のお話によると、私の師匠である中村健先生が病院にかけつけ、静かにその最後を看取られたそうです。畑中先生は健先生の師匠でした。
先日5月18日には、ドイツの名バリトン歌手ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウ氏が亡くなられ、偉大な方がどんどん天国へいってしまう寂しさを感じます。。。
畑中先生は私の師匠の師匠ということで、勝手に親近感をもっていました。残念ながら接点はあまりなかったのですが、たったひとつだけ、忘れられないお話があります。
あれは確か2000年だったと思うのですが、水戸芸術館で初めて「第九」を公演することになり、ソリストのオーディションがありました。アルトソロの部分をピアノ伴奏で一人で歌うわけですが、事前にピアニストとの合わせ練習をせずに行った私は、それはそれはひどい出来でした。“落ちたぁ~”と思いながら歌い切りと同時にお辞儀をして退場しようとすると、客席に審査員としていらした畑中先生が“もう一回歌ってごらんなさぁ~い”とおっしゃって、、、ドキドキしながらもう一度歌うと、今度はぐっちゃぐちゃで何とか最後まで行ったような歌になってしまい、するとまた畑中先生が“もう一度歌ってごらんなさい。このまま帰ったら恥ずかしいでしょ~”とおっしゃられて、しぶしぶピアニストに頭を下げ3度目を歌うと、今度は途中で止まってしまい、行き詰った私は“すみません、歌えません‼”と頭を下げ舞台から帰ってきてしまいました。
完全に落ちたと落ち込んでいると、なんと畑中先生はアルトソロとして私を選んで下さったんです‼恥ずかしいやら、申し訳ないやら、、、“なぜ私を、、、?”と思いつつ、有難い気持ちでいっぱいでした。。。
こうして私の「第九」アルトソロのキャリアは始まりました。。。この時以来、当たり前なのですが、人前で歌う時は万全の準備をしていこうと心に誓いました。でも今の自分ができているかというと、、、もっとできる気がします(汗)。
きっとこれから第九のアルトソロを歌う度に、畑中先生のことを思い出すと思います。
畑中先生、本当に本当にありがとうございました。
これからも私たちを見守っていて下さい。
どうか安らかに。。。